【社長インタビュー】エンジニア業界の再構築を人生をかけて挑戦し候。前編。

15 8月

ずっとやりたかった企画、社長インタビュー

満を持して、お披露目させていただきます。

弊社代表の望月の想いと、PRO-SESSが生まれるまで、そして今後のビジョンをお届けしていこうと思います。

学生時代の頃からのお話を私、藤田が深堀インタビュー!丸裸ですよー!

前編、後編と分けて超大作でお届けいたします。

まずは

前編、望月さんの学生時代〜MapleSystemsの起業まで

 

 

ーまずは、望月さんってどんな学生時代だったんですか?正直、この風貌から学生時代とか想像できないです…笑

お前は本当に相変わらず失礼なやつだな!

小学校とかは、やたら何かの中心メンバーになってやることが多かった。目立つのが好きだったねー。

なんだかんだ学年代表だったりとか。リレーの選手だったりとか。運動神経も頭も良かった。

正直、めちゃめちゃモテてた。調子乗ってたよ、うん。

ー小学生の頃の面白くて特筆すべきエピソードとかありますか?

あるある!小学校からバスケをやってて、小学校6年の夏に転校することがあったんだけど。

福岡から熊本の転校で、バスケ部のある小学校を選んで転校したんだよね。

そしたら、それが次の学校中に広まってて。

「福岡の小学校でキャプテンしてたやつが、バスケがしたくて転校してくるらしい」

と、大きく伝わってた。転校していきなり、転校先のバスケ部キャプテンと1on1したよ。

ーすごーい!果たし状みたいな感じですね笑

まーそれで勝っちゃったのよね。それからまた調子に乗ってた。

兄妹が妹と弟といるんだけど、熊本に転校しても舐められないように、話しかけられても馴れ馴れしく話すなよ。と教育していたよ。舐められたら終わるぞ。

ー望月さんの妹だったら絶対いじめられないと思います…苦笑

まあね。

そんでバスケはレギュラーに入れてもらった。

けど当然今までレギュラーだった人が一人外れるわけで。なんかそれは違うなと思った。

もうあと半年で終わるのに、その子は最後の試合レギュラーになれなかったんだよね。

小学校ずっとバスケやってきたのに後から入った俺みたいな奴に抜かれてさ。

そんときかな、人を動かしたりチームを作ることの難しさに気づいたよね。

でも結局、一番仲良い奴はレギュラー外れちゃったそいつだったね。不思議だよね。

中学校でもバスケやってて、その時は一匹オオカミだったかなあ。

 

 

↑右は望月さんです。左は当時のご学友。

ー高校は熊本屈指の進学校に進んだとお聞きしました。

そうそう。

実は、中学の時にちょっと悪いグループの奴らがいて、その中に一人頭がいい奴がいたんだよね。

そいつに成績で負けたことに腹が立って!

そこからはずっと学年トップなくらい勉強しまくってた。一日4~5時間くらいかなぁ。もちろん受験とかじゃない時に。

部活もやってたけどずっと勉強ばかりやってたかな。

それで熊本の超進学校に進んだんだよね。

熊本にある中学校各学年のトップ5くらいしか行けない学校だった。

そこで入学してすぐにある学年テストで10位をとった。

なんだまぁこんなもんかというところで、調子に乗り始めたかな。笑

ーいやいや、調子乗ってくださいそこは。すごいですね。

それで特別進学クラスというところに入って今のCTOの西山と出会ったんだよね。

すげえ頭いいやつがいる!ってなった。

 

↑右は弊社CTOの西山さんです。

ーちなみに西山さんはその時どれくらいの順位でしたか?

俺のもっと上だった。

常にtop10くらいかな。

ーさすがCTO。私そんなに勉強したくないタイプの人間だったので本当に心の底から尊敬と憧れを抱きます。大学は東京ではなく福岡の大学に進まれたんですね。

そうそう、大学は一年留年したんだよねー。先生と喧嘩して。

なんで喧嘩したかというとさ、カンニングしているような奴らがいたのに先生が何も言わなかったから。きちんとやっているやつがバカを見るなんておかしいじゃん。もともと曲がった事が大嫌いなんだよね。

「こいつらカンニングしてるの知ってて、何も言わずに単位やるってことはもうテスト受けなくても単位くれるんでしょ?」

って机蹴飛ばして帰ったら、その先生が必修科目の先生で。

単位くれなくて留年確定したんだよね。笑 大学2年生の時に。

 

ーこの4ヶ月望月さんの直属の部下として働きましたので、そのあたりの剣幕、想像できます…

さ、話題を変えて、と。バイトは何をされていたんですか?

週8~9でやってたよ!月給20万円くらい稼いでた。

家庭教師やってたよ。教えていた子が学年1位とったのが面白かった。

超スパルタだったけど。笑

まぁその子が本当に素直に勉強したってのが一番だよね。

人を育てたり教えたりする面白さをその時に感じたよ。

(弊社のテックスパルタというプログラミング塾は望月さんの大学時代の家庭教師の経験がルーツだと思ってます。ご興味がある方は下記からどうぞ↓2ヶ月5万の授業料、卒業率は23%という過酷なコースです)

http://www.tech-sparta.com/index.php

ー大学を卒業されたのちに、一度就職して、フリーランスを経て起業されました。

いつくらいから起業されようと思ったのですか?

高校の時だね。今のCTOの西山に勉強で勝てなかったから。

だったら、自分より優秀な人をどんどん会社の仲間にしていけばいいんだ!

人に負けるところはどんどん任せて行けばいいや、と。

自分は勉強が好きだったが得意なことではなかったので。

勉強が得意で好きな人には勝てないからね。西山は本当に頭の作りが違うから。

最初は自分の友人に入社してもらって、会社を軌道に乗せたよ。

まあ色々あったけどね…..(次回に続く)

 

前編は以上になります。

後編は

〜創業から新サービスPRO-SESSが立ち上がるまで、エンジニア業界を再構築する展望〜

をお送りいたします。

後編には望月さんの想いがたくさんつまっております。

乞うご期待を!

※実はお気に入りの1枚★

No comments yet

Leave a Reply